「やねしん」のさろん

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やね日記 〜ある信金マンの道楽な日々(笑)〜

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2003-05-11 (Sun)

▼ドラキュラ戦記

★今日、いつものように本屋を覗いていると、歴史群像の最新刊が出ていたので早速ゲット。
 今回も、各国の参謀本部の歴史や比較をした記事や、アイルランド紛争史などと言った記事など、結構興味深い記事のオンパレードだったのですが、今回一番興味を引いたのがドラキュラ戦記でした。

★もちろん、ブラム・ストーカードラキュラ伯爵のことでは無くて、そのモデルとなったワラキア公ブラド3世、通り名がツェペシュ(串刺し公)ともドラクル(悪魔)とも称された一代の梟雄の物語の方なんですが。
 まあ、この人はその残虐さばかりが後世に轟いているという印象が強いんですけどね。
 通り名のごとく、外敵や反対する国内の貴族を串刺しにして処刑したり、貧者や病人、老人などを館に集めて火をかけて「これで我が国から貧者と犯罪者はいなくなった」豪語したりと、その残虐さは留まる所を知りません。

★ただ、こうしたブラドの行動には、当時のワラキアを取り巻く情勢を見る必要がありますけどね。
 当時のルーマニアの領域は、ワラキアモルドヴァ、そしてトランシルヴァニア(ハンガリー語ではエルデイ)の三国に分かれていた上に、うちトランシルヴァニアハンガリー王国の支配下にありました。
 しかも、南方には強大な軍事力を持つオスマン・トルコ帝国の存在もありましたし、そのような周辺諸国の情勢の中では、外敵に対抗できるだけの力を蓄える為にも、国内の結束を強いたブラドの政策は、ある意味仕方の無い事だったのかもしれません。
 自立心の高い国内の有力諸侯を恐怖をもって支配する構図は、我が国で例えれば、室町幕府の6代将軍足利義教や戦国時代後期の覇者である織田信長と共通する面を持っているかなと私的には思っています。

★ですが、今回印象的だったのが、単に残虐さ一辺倒のブラド像だけではなくて、後にモルドヴァ公となる従兄のシュテファンとの友誼などと言ったエピソードも掲載されている点ですね。この辺りは人物の評価を単純に決めつけることの危険性を示していると思います。
 それと悪評は後世に悪意をもって流されるということもあります。
 ほとんどの場合において、歴史書は勝者によって作られますからね。
 そう考えれば、ブラド勝者の歴史の犠牲者であるのかもしれませんね。

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