「やねしん」のさろん

Le soleil brille pour tout le monde, chacun a le droit d'etre heureux.

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やね日記

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2009-01-05 (Mon)

NHK大河ドラマ「天地人」

★所用があったのでリアルタイムではないのですが、NHK大河ドラマ「天地人」の第1話「五歳の家臣」を今日見てみました。
 上杉輝虎(謙信)を演じる阿部寛さんが、ストイックで孤高な謙信を上手く演じていると感じました。
 昨年の篤姫は、じっくりと腰を落ち着けて見ることがなかなか出来なかったので、今回はなるべくずっと見ることが出来たらなあと思っています。

★ところで歴史好きとしては、物語と史実との違いにどうしても目が行ってしまうとは思われるのですが。
 私は、脚色することで描かれる人物像やその時代がより印象に残るのであれば、別に物語と史実に違いがあっても問題は無いと思っています。史実をそのまま物語にしても面白くない例が多いですしね。
 それに史実とは、あくまでもこれまでの歴史研究の中で生まれてきたものであって、それが事実とは限らないですし。
 むしろ、物語や小説、そしてドラマなどから、史実に興味を持ってもらえる人たちが出てくれれば、歴史好きとしてはこれほど嬉しいことは無いと思いますね。
 是非、経験から学ぶのでは無く、歴史から学んで欲しいなと思います。

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2006-02-15 (Wed)

ウィンストン・チャーチル卿の名言

★いわゆる本物の政治家という人種は、民衆の支持を集める力があるが故に言葉遣いが巧みな人が多いのですが、名政治家と呼ばれるレベルになると、それが格言に近い名言として残される場合がよくあります。
 中でも、二十世紀代表する英国の政治家であったウィンストン・チャーチル卿は、まさに数々の名言を残した人として有名ですね。
 その名言で私が特に好きなのが、「民主主義は最悪の政体である。 これまで試されたあらゆる政体を別にすれば(It has been said that democracy is the worst form of government except all others that have been tried.)」というものです。
 今まで、民主主義についての色々な言葉がありましたが、これほど民主主義について的確に表現した言葉を他には知らないですね。

★ただ、そんな名言の宝庫であったがゆえに、卿の名言としてでっち上げられたものも多いようです。
 代表的なものとしては、「二十歳までに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。二十歳過ぎても左翼に傾倒している者は知能が足りない」というものがあります。ただ、Wikipediaでも指摘されているように、このようにでっち上げられる事自体が、卿の演説家としての評価の高さの現れなのかなと私も思います。
 ですが、誰が言ったかは知りませんが、この左翼についての言葉うまい言い方だなとは思いました。もっとも、現代社会においては右翼・左翼などという思想の分け方自体時代遅れではありますけどね。
 まあ、どのような思想を持つに限らず、反対する考え方にレッテルを張って中身の無い誹謗中傷を繰り返す単細胞な輩が、やたら目につくのにはいささか辟易(へきえき)してますけどね。
 さすがに先に上げたウィンストン・チャーチル卿とまでは言いませんが、せめて批判をするにしてもユーモアを感じさせられるぐらいの余裕が欲しいものですね。

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2005-04-16 (Sat)

メソポタミア河内

★今、日経メソポタミア河内という連続ものの記事が掲載されてまして、なかなか興味を持って読んでいます。
 ちなみに河内とは大阪府の東部一帯をさし、昔の大和川が南北に流れていたために、その大和川(河)の下流域の地という意味で河内と呼称されたそうです。
 まあ、河内という言葉は、その地名よりも河内弁河内音頭の方が有名ですけどね。(汗)

★ところでその河内の名称の元となった大和川ですが、現在の大阪府内を流れる大和川人造の川であることを知る人は思ったよりも少ないですね。
 現在の大和川は、江戸時代幕府によって付け替え工事が行われて完成したもので、これによって長年河内地域を苦しめてきた水害が緩和されたという話です。
 ちなみに今の大和川摂津(大阪府北西部)と和泉(大阪府南西部)のだと思っている人もいるようですが、これは間違いでちょっと南の堺市摂津・和泉・河内の国境になっています。だから堺(境)市なわけです。ちなみに、その三国が接している地と言う意味で三国ケ丘という地名もありますし、三国が接しているので方角が無いという意味から厄払いで有名な方違(かたたがえ)神社も鎮座しています。

★話を元に戻しまして。
 先に挙げたメソポタミア河内では、その付け替え工事の事情なども書かれているので、読んでて飽きないです。
 まあ、ある程度の文量がまとまったら書籍化はされると思うのですが、多分買うだろうなあ、と。
 基本的には世界史経済史が大好きなのですが、ついつい郷土史にも魅かれてしまいますね。
 やっぱり、歴史全般好きなのかなあ。

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2004-11-10 (Wed)

ハプスブルクをつくった男

ハプスブルクをつくった男
★先日買った歴史群像書評欄に載っていて、ちょっと魅かれるところがあったので購入
 ハプスブルクをつくった男というタイトルからして、私も含めてたいていの人は、13世紀にローマ王となりハプスブルク王朝の端緒を開いたハプスブルク伯ルドルフ1世を想像されるかもしれませんが、この本の主人公は、実はルドルフ1世の曽孫建設公と称されたオーストリア公ルドルフ4世だったりします。
 1308年のアルプレヒト1世の暗殺から1440年のフリードリヒ5世(ローマ王としては3世)のローマ王即位までのハプスブルク家は、長い歴史を誇る同家の中でもとかく影が薄い時代なのですが、ケルンテン公領・ティロル伯領の獲得や既に獲得していたオーストリア公領・シュタイエルマルク公領・クライン公領の足固めがこの時期に行なわれており、言い換えればその後のハプスブルク家雄飛の下地がこの時期になされてたりします。
 特にルドルフ4世建設公の綽名の通り、ウィーン大学聖シュテファン大聖堂の建設など現在のウィーンの基礎を造った人物であり、その破天荒とも思える対外政策により金印勅書で定められた選帝侯で無いにも拘らずハプスブルク家を他の選帝侯家と同格に押し上げたりもしています。
 その破天荒ぶりは、この本を読んでもらえれば大いにわかると思います。

★ただ、私が本書で注目したのは、主人公のルドルフ4世ではなくて、彼の父で賢公と称されたオーストリア公アルプレヒト2世だったりします。
 無理な外征策をとらずにオーストリア・シュタイエルマルク・クライン・ケルンテンの四公領の内政に力を注ぎ、ベーメンのルクセンブルク家とバイエルンのヴィッテルスバッハ家という対立する二大勢力の間に立ってパワーバランスを巧みに維持するなど、平和政策を基調とした統治を行ないオーストリアを富裕領邦に育て上げた名君です。
 特筆すべきは、田中芳樹氏のバルト海の復讐でも書かれている通りユダヤ人の保護政策を取ったことで、度重なる旱魃や疫病の蔓延により各地でユダヤ人への迫害が広がる中で毅然とした保護措置をとり、ユダヤ人に代表される経済ネットワークの保護に努めたりもしています。
 いわばルドルフ4世は、穏健な父公が築き上げた遺産によって大事業を行ない得たわけで、この辺りは後世のプロイセン王国の吝嗇家の兵隊王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の遺産をそっくり受け継いだ大王フリードリヒ2世を彷彿とさせるかなと思います。
 まあ、その遺産をフリードリヒ大王と同様に有意義に利用したこと自体もルドルフ4世の才覚の現れでしょうけどね。
 目立たない時代を扱った書物でしたが、なかなか面白く読むことが出来ました。

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2004-11-09 (Tue)

歴史群像12月号

★帰宅途上、行きつけの本屋でふと目に入ったので早速購入
 今回はアレクサンドロス大王死後の後継者(ディアドコイ)戦争筑紫君磐井の乱の記事が特に目をひきました。
 どちらも歴史の教科書には言葉だけが載っている類のものですが、実際にどういう歴史の流れがあったのか、周辺の国々の事情なども合わせて詳細に書かれていて、またひとつ勉強になりました。

★特にアレクサンドロス大王の急逝からセレウコス朝・プトレマイオス朝・アンティゴノス朝の三王朝の鼎立までに繰り広げられたディアドコイ戦争は、有力な王族・重臣達の合従連衡や四分五裂の動き、「大王の帝国」の中でのギリシア・マケドニア・ペルシアのナショナリズムのぶつかり合いなどが余す事なく書かれていて読んでてとても楽しかったです。
 あと、アレクサンドロス大王の妹の名がクレオパトラだったという事も今回初めて知りました。マケドニア(と言うよりはギリシアか)ではポピュラーな名前だったようですね。これがプトレマイオス朝に受け継がれて、あのクレオパトラ7世まで続いたみたいですね。
 こうやって見てみると、新たな歴史の知識が既に知っている歴史の知識とさながらジグソーパズルのように組み合わさって、本当に更なる好奇心を刺激されます。
 だから歴史の勉強ってやめられないんですよね。

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2004-08-04 (Wed)

秦の始皇帝が統一をしなければ

★何か巴蜀の人々が子供じみた事をしていたようですが。
 そんな児戯大人が熱くなることも無いでしょう。
 むしろ、そんな状況下でも奮闘をした我が国の選手達惜しみない拍手を送りたいです。

★ただ、これほどの反日問題が発生したのも、もとを辿れば民主化の機運を抑えるために中国政府が行なった反日的な教育にあったわけですが。(正確には愛国心を鼓舞する教育と言う物らしいです)
 国内の不満をそらせるために他民族スケープゴートにするやり方は、まさにナチス・ドイツの反ユダヤ政策を彷彿とさせます。
 本当に教育は一歩間違えると恐ろしい効果をもたらしますし、中身の無いナショナリズムは人を簡単に腐敗させるのようなものだと痛感します。

★ですが、この部分だけを見て、中国の人々すべからく反日的だと断ずるのはもちろん早計なわけで。
 もともと中国は、北と南では言葉が通じないほど広大で多くの民族を抱える国家で、かの秦の始皇帝が強引に中国を統一しなければ欧州のように複数の国家が分立した状況が続いたままであっただろうという学説もあるくらいですからね。(事実、過去に何度も国家が分立していますし)
 やはり中国はこうだと言う前に、北京は、上海は、大連は。と言う方が丁度良いのでは無いかと思うんですけどね。
 ………で、それらの地域の中で知日的なとこってどこなんでしょうか?(をい)

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2003-05-11 (Sun)

ドラキュラ戦記

★今日、いつものように本屋を覗いていると、歴史群像の最新刊が出ていたので早速ゲット。
 今回も、各国の参謀本部の歴史や比較をした記事や、アイルランド紛争史などと言った記事など、結構興味深い記事のオンパレードだったのですが、今回一番興味を引いたのがドラキュラ戦記でした。

★もちろん、ブラム・ストーカードラキュラ伯爵のことでは無くて、そのモデルとなったワラキア公ブラド3世、通り名がツェペシュ(串刺し公)ともドラクル(悪魔)とも称された一代の梟雄の物語の方なんですが。
 まあ、この人はその残虐さばかりが後世に轟いているという印象が強いんですけどね。
 通り名のごとく、外敵や反対する国内の貴族を串刺しにして処刑したり、貧者や病人、老人などを館に集めて火をかけて「これで我が国から貧者と犯罪者はいなくなった」豪語したりと、その残虐さは留まる所を知りません。

★ただ、こうしたブラドの行動には、当時のワラキアを取り巻く情勢を見る必要がありますけどね。
 当時のルーマニアの領域は、ワラキアモルドヴァ、そしてトランシルヴァニア(ハンガリー語ではエルデイ)の三国に分かれていた上に、うちトランシルヴァニアハンガリー王国の支配下にありました。
 しかも、南方には強大な軍事力を持つオスマン・トルコ帝国の存在もありましたし、そのような周辺諸国の情勢の中では、外敵に対抗できるだけの力を蓄える為にも、国内の結束を強いたブラドの政策は、ある意味仕方の無い事だったのかもしれません。
 自立心の高い国内の有力諸侯を恐怖をもって支配する構図は、我が国で例えれば、室町幕府の6代将軍足利義教や戦国時代後期の覇者である織田信長と共通する面を持っているかなと私的には思っています。

★ですが、今回印象的だったのが、単に残虐さ一辺倒のブラド像だけではなくて、後にモルドヴァ公となる従兄のシュテファンとの友誼などと言ったエピソードも掲載されている点ですね。この辺りは人物の評価を単純に決めつけることの危険性を示していると思います。
 それと悪評は後世に悪意をもって流されるということもあります。
 ほとんどの場合において、歴史書は勝者によって作られますからね。
 そう考えれば、ブラド勝者の歴史の犠牲者であるのかもしれませんね。

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2003-04-23 (Wed)

歴史はやがて敗者にも光を与える

★今週に入ってから、仕事面で神経をサンドペーパーで擦られるようなことが多発していて、少々気が滅入っています。
 まあ、これも給料を貰っているうちと言う事で、致し方ない事なのかもしれませんが。

★今日のその時歴史が動いたは、あの田沼意次の特集でした。
 長年に亘って、悪徳政治家のレッテルを貼られ続けてきた意次について、不倶戴天の仇敵だった松平定信の子孫である松平定知アナウンサーが語るということだけでも興味があったのですが、通貨制度改革貸金会所(佐藤雅美氏流に言えば「日本惣戸税」)についても触れられていたのが興味深かったです。
 その代わりに、後の北方探索への端緒を開いた蝦夷地開拓事業印旛沼干拓事業について触れられなかったのが残念と言えば残念なのですが、限られた時間だったのでこれは仕方がないという所でしょうね。

★そして、最後に登場した意次直筆の将軍家斉への上疏文
 守旧派の批判をものともせず、ひたすら国家の安寧のために働いた意次の姿にしばし物思いに耽ってしまいました。
 戦前に辻善之助先生田沼時代を著し、一義的な田沼意次像に疑問を呈してからおよそ90年。ハーバード大学のJohn Whitney Hall教授Tanuma Okitsugu(1719-1788) Forerunner of Modern Japanを著してからおよそ50年。その他、村上元三氏の小説「田沼意次」を始めとして、数多くの人々の努力によって田沼意次の再評価が進められてきました。
 歴史書が当時の権勢家によってその史実を歪められるのは往々にしてよくあることなのですが、その作られた史実を年月をかけてひっくり返してしまうところに、歴史学の凄みと面白さがあると思います。

 歴史書は勝者によって作られますが、歴史はやがて敗者にも光を与える
 逆もまた真なり。
 つまるところ、歴史の人物に対する評価というものは、そんなものであるのかもしれませんね。

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2002-11-18 (Mon)

松本重太郎

★今日の朝日夕刊に、来年1月にNHKハイビジョンで放送される、われ、晩節を汚さず〜新夫婦善哉〜の記事が掲載されていました。この物語の主人公松本重太郎は、実は関西財界を語る上で非常に重要な人物の一人です。
 大阪で創業した洋反物雑貨商を振り出しに、次第に事業を拡げ、現在の南海電気鉄道東洋紡アサヒビール明治生命毎日新聞社、そして関西大学などの設立に参加するなど、関西財界の重鎮として、一時は「東の渋沢(渋沢栄一、第一銀行(現みずほ銀行)頭取)、西の松本」と称されるほどの勢威を誇りましたが、日露戦争下での不況で自身の基盤であった百三十銀行を救うために全財産を投げ打ち、以後、死ぬまでついに実業界に戻ることがありませんでした。
 経営の責任を取った経済人としては、後に神戸発祥の総合商社である鈴木商店と興亡を共にした大番頭金子直吉と並んで、私にとっては印象が強い経済人だったりします。
 (この二人については、いずれ文章を書いてみたいのですが、いかんせん他の文章が全然進んでいないので延び延びになっています、すいません。)

 話が逸れましたが、今回、おそらく初めて松本の生涯が映像化されるわけで、とても楽しみです。
 私的には、阪堺鉄道(現南海電気鉄道)を設立する際にあだ名された、「豆男」のエピソードが入っていたらいいなあと思っています。

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2002-08-19 (Mon)

Jaguarの発送のメールが、

★今日届きました。
 ですが、MACお宝鑑定団によれば着日指定がされているとのことです。
 残念。

 ところで、遅まきながら歴史群像8月号を購入しました。
 興味を引いた記事は、呉楚七國之乱と自衛隊創設史、そしてカシミール紛争史の三つでした。
 特に自衛隊創設史では、旧内務官僚主導で創設された陸上自衛隊と、戦後も団結して創設時にも絶大な影響力を持った旧海軍指導者層主導で創設された海上自衛隊との違いが、かなり浮き彫りにされていて興味深かったです。それと意外に多くの旧内務官僚出身者が、自衛隊の設立に参画していたことですね。内務省は解体されましたが、人は残っていたという感じですね。
 あとはカシミール紛争史ですが、これを読むと、インドとパキスタンがいがみ合いを続ける理由、妙に緊張しているインドと中国の関係、そしてアフガン紛争時に何故あれほど早くパキスタンにアメリカが橋頭堡を築き得たのかが少しは解ったような気がしました。
 歴史と言うものが連続していて、その先に現れるのが事件であるということを改めて痛感した次第です。

 ところで、平和を考える上で戦争の歴史を学ぶことは大変重要なことであると私は思います。
 もっとも、戦史や軍人の伝記を読んでるだけで右呼ばわりする人がいるのも事実ですけどね。まあ、極左から見れば中道もまた右という言葉は本当に蓋し名言だと思います。
 ですが、実際にこの地球上の各地で戦争が起こっているのも事実ですし、その起こる理由を検証するためにはどうしても戦争というものについて客観的に学ぶことが必ず必要になってくるはずだと私は思います。

 問題は、それらを学んだ上で、どうやって平和と向き合うかということだろうと思います。

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