QLOOKアクセス解析

受け手の度量が問われる事例かと

2012-05-14 (月) | Tag: ,,,

5月
14

橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化
Kyoko Shimbun News(虚構新聞社)より。

もちろんフィクションなお話なのですが、twitter界隈では本気にする人が続出して一騒動が起こっていたみたいですね。
根底には、他者から与えられる情報を無条件に信じ込むという人が多いというところもあるのではないかと思います。インターネットが普及する以前は、マスメディアによる一方的な情報提供が一般的でしたし、それに長い間慣らされていたのも事実ですしね。

インターネット上の情報は、課金制などを採っているサイトを除いては無料で手に入ることが多いですが、質の保証がほとんどないのが現実です。今回取り上げたサイトのように、パロディを交えた記事を掲載しているところもありますし。
これらに目くじらを立てて怒ったり、その非を鳴らすことは簡単なことだとは思いますが、そこは情報の受け手の度量が問われるのではないかと思いますね。

無料で情報を仕入れている以上は、その情報をどのように受けとるかは受け手に責任が生じると私は考えます。
その受け取り方に間違いがあっても、その判断を下したのは自分自身の責任でしょうし、ましてや誤った判断の下に意見を開陳して恥をかくのも自分自身の責任です。
代価を払って手に入れた情報が誤りならば、その非を鳴らすことは当然だと思いますが、そうでなければ、自分自身でかいた恥の責任を情報の発信源に転嫁するのは、少し筋違いなのではないかと思いますね。

結局、行き着くところは受け手の度量にあると思います。
自分自身でも意見を発信している以上は、その根拠となる情報の真贋を見抜くことやそれに基づいて発進する意見の正誤についても、最終的には自分自身で責任を負わないといけないと思うのですが、厳しすぎる意見でしょうかねえ?


No Comments »

 iTunes Store�Japan�

問われる反対の質

2012-05-13 (日) | Tag: ,,

5月
13

日本は我儘な1人が反対すれば99.999%が賛成でも決定できぬ
NEWSポストセブンより。

以前にも同じような話をしたような記憶があるのですが。
政策に対して反対をするのは結構な事だと思います。ただ、「対案」はあるのかというところだと思います。
反対をするということイコール現状を追認するということでは必ずしも無いとは思いますが、対案や改善案が無ければ、結果としてそうなるのではないかと思います。
これって、結局は「保守」だということですよね。

何でも反対で物事が解決するならば、これほど楽なことは無いと思います。
ですが、現実の世界では必ずしもそうではありません。
たとえ現状を維持するにしても、やらないといけない道筋はあると思うんですよね。
その辺について真剣に考えているのか。よく反対の論陣を張る人を見かけるのですが、その真剣さがなかなか伝わってこないのが残念ですね。


No Comments »

機会の平等と結果の平等と

2012-05-12 (土) | Tag: ,

5月
12

負けてもいい・・・
宋文洲のメルマガの読者広場より。

共産主義を標榜する国で競争が奨励される一方で、相対する思想を持つ我が国で平等が強調されるという現実に、言いようの無い違和感を感じるのは私だけでしょうか?
おそらくは、平等の意味を履き違えている人が多いのではないかと思うんですよね。

平等の大切さが説かれるのは、出身地や門地などと言った個人の努力では変えられない「生まれ」による差別を否定するところから始まったのであって、努力の結果としての貧富の差を否定することでは無かったと思います。
まあ、努力の差によって生まれた貧富の差が子々孫々に亘って伝えられるような社会であれば別ですが、より良い生活を送りたいというモチベーションの動機となる競争について、全否定するつもりは個人的にはありません。

大切なのは、努力次第で誰に対してもより良い生活が送れる機会を社会が与えることであろうと思います。
もちろん、100%の平等を保証することは難しいとは思いますが。
ですが、一生懸命生きようとしている人々に機会を与えることこそが本当の平等なのではないかと思いますね。


No Comments »

家電量販店が生き残る道

2012-05-11 (金) | Tag: ,,

5月
11

ビックカメラ、コジマを買収 家電量販2位に
ITmedia +D PC USERより。

買収の形態からすれば、コジマの名称は残るようですね。
まあ、先はどうなるか分かりませんが。

個人的には家電量販店は二極分化するかなと思いますね。
価格を追求する店とアフターフォローを追求する店と。
まあ、量販店が必ずしも低価格のみを追求する必要はありませんしね。


No Comments »

コンプガチャが問題の根源ではないと思いますが

2012-05-10 (木) | Tag: ,,

5月
10

コンプガチャ廃止表明相次ぐ グリーやDeNA
日本経済新聞より。

先手を打って自主規制というところでしょうか。
コンプガチャという単語を消滅させて、問題が深く追及されるのを防ぐ意図があるのかなと勘ぐってしまいます。

おそらくは、これだけで幕引きというわけには行かないでしょうから、これからも更なる綱引きは繰り広げられるでしょうが。
公的な規制であれ自主規制であれ、未成年に対する敷居の低さをいかに解決するかと言う所を考えて欲しいと思いますね。


No Comments »

JOYSOUND f1

2012-05-09 (水) | Tag: ,,

5月
09

JOYSOUNDの最新機種「JOYSOUND f1」は最大5動画コラボに対応、20万曲搭載で6月に発売決定
GIGAZINEより。

ついに液晶が搭載されましたか。
今まで搭載されていなかった方が不思議だったのですが。

色々と新機能も追加されているようで、早速利用してみたいです。
来月から発売開始だそうですが、今から待ち切れないですね。


No Comments »

スマホ時代のカーナビ

2012-05-08 (火) | Tag: ,,,

5月
08

フロントガラスにナビ情報を表示–HUD搭載の新「サイバーナビ」
CNET Japanより。

以前は、自動車購入の際にカーナビはほとんど必須だったような気がするのですが、今では、iPhoneなどのスマートフォンとホルダー、Bluetooth接続のFMトランスミッタなどがあれば、ほぼカーナビやカーオーディオの代替が可能になっています。
そこで、カーナビメーカーにも付加価値が求められていたわけですが、答えが一つ出たかなという気はします。

問題は価格ですけどね。
これは実際に現物を見なければ何とも言えないかな?
スマートフォンとの連携も気になるところですし、是非、現物を見てみたいと思います。


No Comments »

N700系車内Wi-Fiに一部帯域制限

2012-05-07 (月) | Tag: ,,

5月
07

東海道新幹線「N700系」車内Wi-Fi、5月末より一部帯域制限
ケータイ Watchより。

スマートフォンやタブレット端末へ直接アプリがダウンロード出来たり、簡単にYouTubeなどにアクセス出来るようになっているので、かなり通信量は増えてそうですね。
そこへ、スマートフォンやタブレット端末の普及が拍車をかけたというところでしょうか?

まあ、個人的にはメールやウェブサイトなどが確認できれば問題ないので、それほど影響は無さそうですね。
どうしても動画が観たい時は、なるべく自宅や宿泊先で観るようにしたいと思います。


No Comments »

未成年が気軽に参加できる敷居の低さが問題かと

2012-05-06 (日) | Tag: ,,

5月
06

コンプガチャは違法懸賞、消費者庁が中止要請へ
YOMIURI ONLINEより。

射幸心を煽る点については、他にパチンコや競馬、競輪。競艇などもあり、宝くじなども含めれば、購入をしていない成人の方が少数派なのではないかと思ったりします。
問題なのは、自制心が無く、親の収入に依存している未成年が、気軽に参加できる点、これに尽きるのではないかと思います。

まあ、ネット上での本人確認には限度がありますし、子供の方が知識がある場合もありますしね、生体認証が家庭でも一般化するまでは利用の線引きは難しいのではないかとも思ったりしています。
それまでは、このような規制も止むを得ないのかなと思いますね。


No Comments »

信仰心と器としての宗教と

2012-05-05 (土) | Tag:

5月
05

日本人は自らの宗教性にいいかげん気付くべき
狐の王国より。

確かに我が国において無宗教と称する人々は多いですね。
その理由は、「宗教」という器に対する不信感があると思います。
その不信感とは、カルトに対するものであったり、信仰を押し付けようとする従来の特定の宗教団体に対するものであったりと千差万別ではあります。
故に、宗教団体に所属していることを前面に出すことで社会的にマイナスのイメージを持たれるよりは、無宗教と言う事で面倒を避けようと考える人は多いのかもしれません。

ただ、この考えは国内であるからこそ通用する考え方であって、海外では通用しませんね。
海外へ渡航された方ならお分かりになると思いますが、諸外国、特にイスラム教やキリスト教などの一神教の国々において「無宗教」を称することはタブーです。
下手をすると人間扱いすらされない場合もあります。

たとえば、商社マンA氏は入国に査証を必要とする某イスラム教国へ行くことになり、査証申請書を出したところ、うっかり「宗教」という欄に「なし」と書いたため、「無神論者を入国させるわけにはいかない」と拒否されてしまった。
また、同じく商社マンのB氏は、それほど戒律が厳しくなく、酒も自由に飲めるイスラム教国で、空巣狙いに入られてしまった。そして、すぐ警官を呼んだのだが、調書をつくる段となって、自分の宗教を聞かれた時、うかつにも「なし」と答えてしまった。すると、警官は、「無神論者の物を盗んでも泥棒にはならない」と言って帰ってしまったそうである。
(大島直政著・ケマル・パシャ伝より抜粋)

このように、けだものに等しい存在として扱われることも少なくありません。
これは、宗教を文化の一部として意識しているかいないかの差なのではないかと思います。

これらの根底にあるのは、宗教そのものを学ぶ機会が少ないこともあるのではないかと思います。
知らないが故に、宗教に対するアレルギーを持っているのではというところかと。
ただ、その「宗教を学ぶ」というのは、何も教義を学ぶとか神学を学ぶなどと言った意味ではありません。
人類とともに宗教が歩んできた歴史や、宗教が人類やその文化に与えた影響などといった、宗教と人類との関わりを学ぶ機会が少ないのかなと思います。
それは、おそらくは戦後の厳格な政教分離の考え方が影響しているのでしょう。

ただ、宗教と人との関わりを知らなければ、宗教に対する関わり方もよく分からないと思います。
関わり方が分からなければ、安易にカルトや神秘主義に耽る可能性も高くなりますし、知ると言う行為はとても重要なことではないかと思います。
まあ、教育を進めるためには、前述した宗教に対するアレルギーを超えないと行けないわけですが。
そう考えると、結構難題なような気もしますね。


No Comments »